我々は自由を希求する


■国力と世界の工場


米国が力を持ち得たのは、第一次世界大戦後に世界の工場となってからです。


それ以前はイギリスが長いこと世界の工場でした。


そして、今中国が力を持ち得たのも、現在世界の工場となったからにすぎません。


日本がバブルで絶頂だったのも、世界の工場と言える状態だったからです。


つまり、世界の工場であることが、世界における地位と力の向上につながると云うことです。




■移動する世界の工場


が、しかし、ものをつくるのは人の仕事であり、となれば人件費が安い方に工場は動く。


つまり、今後、中国の次にはインドが世界の工場となり、そうなれば、当然インドは地位と力をつけると思われていました。


しかし、これまでの流れを普通にみれば、どんなバカでも世界の工場が国力増強の最短距離だと気がつきますので、中国あたりなどは、もう、インドなんかに世界の工場を渡すものか的な動きみせますし、アメリカなどは世界の工場でなくなっても、儲かるようにと動きます。


日本だけが、あっけなく世界の工場である地位を移譲した上に、その後も描けないでもがき苦しんでいるというわけです。




■オバマをはじめアメリカの大統領に何を期待するか?


アメリカでは、オバマ大統領の評価が落ち始め、逆にブッシュ前大統領が再評価されるようになっているそうです。


世界の警察として国際世論の批判もなんのそのでイラクに派兵したブッシュさんと、軍事行動には慎重で、結果的にズブズブとやらざるを得ない状況に追い込まれて、渋々腰をあげたオバマさん。というわけで、現状オバマさんに対する風当たりは強いです。


オバマさんの腰砕けの外交政策が批判されるというのは、当然といえば、当然なのでありますが、世界の工場が中国となっている現状において、オバマさんだろうが、ブッシュさんであろうと、時代の流れの中に大統領も存在するのですから、行動や決断は抑制されるのは仕方がないかとも思えます。



つまり、仮にブッシュさんであろうと、落ちる国力の現在のアメリカにおいて、軍事行動をかつてのように迅速かつ速やかに出来たかについては疑問だ?ということです。


結局アメリカ本体がどうなのか?によってアメリカ「の」大統領の決断も、また影響力も変化されるのですから。


それは、つまるところ、アメリカのみに限らず世界もです。



国力が低下するアメリカに代わって、中国が世界警察の役割をすべきなのでしょう。けど、残念ながら、アメリカと違って中国は遵法主義ではないので、世界の警察の役割などまるで期待出来ません。


むしろ今の中国はタチの悪いギャングです。


日本としては、オバマさんには、昔のように今後もアメリカは世界の警察官であって欲しいと期待したいのですが、上記述べたように、時代の潮流から見て、それは無理な相談でしょう。




■国はどうすべきか?


企業はその目的が利益を出すことであり、であるなら愛国である必要はないのです。なので、その国が調子悪くなれば、その国から平気でバイバイします。


イギリスからアメリカ、アメリカから日本、日本から中国、そして今後はインドかブラジルかインドネシアか…。


要するに景気がいいところに、場合によっては企業名を変更してでも移動します。



国民もそうであれば苦労しませんが、企業と違って個人は弱いので、公権力の強い国は暮らしにくいですし、自由の保証がないと動きにくいものです。


その証拠に中国からアメリカに「移民」する人は多いですが、アメリカから中国へ「移民」する人は少ないですよね(笑)



であるなら、国としては、やはり国力がなくなったからと、ホイホイ動けない国民のために、自国の国力を増進させる必要がり、そうとなると産業政策は国力をつける上で重要であり、そう思えば、明治政権の富国強兵策は間違ってなかったのです。それは国家の自立の上で当然だからです。



なお、明治の政策は間違ってなかったけですが、その延長である昭和の政策で何を間違えたのかといえば、米国との戦争時期でしょうか?



話戻して、そういう長い歴史的俯瞰を考えると、今の日本としては、アメリカにはなるべく過去の警察と同じように期待し要望すべきであり、とはいえ、アメリカ自身は、多分にかつてのようにはいかず、どんどん国力を落とすでしょうし、では、それに対しては、日本は、自国の力をどんどん強めざるを得ないというか、そういう政策をとるしかないなと。


このように思います。


これはもう、必然でしょう。



■改めて、オバマをはじめアメリカの大統領に何を期待するか?


オバマさんにも、その後の大統領にも我々日本としては、アメリカの日本への擁護を過度に期待はすべきではないしょう。


しかし、だからといって、まったく期待しないってわけでもなく、期待を求めつつも、やがて誰がアメリカの大統領になっても大丈夫な状況に日本という国家を整える。


つまり、そういう状況までは、最低限の擁護は期待を求め、かつ答えて頂くしかないでしょう。



大事なのは、日本人が日本人として幸せになることであり、出来れば世界も世界それぞれとして幸せになってもらうように動くということです。


どっか外国の幸せを日本を差し置いてまで願うのも本末転倒なら、日本だけ幸せなら他は知らんというのも、無理だし、結局日本の幸せを遠のかせるというコトです。



■究極の自由


人々が、あるいは国ごとが、本当の自由、干渉されない自適をもとめるなら、国家一つに一つの地球でも与えるとか、さらに人間一人に、ひとりの世界を与えるしかないでしょう(笑)


それで各国々や、社会、個人がやっていければ、それが一番かと思えます。


ですが、現状はそうではない。


そうなると、人は社会の中で生きるために、ある程度の干渉や自由への束縛を受け入れなければならないし、同じく国家も、他国から干渉されようがぐだぐだされようが、それを受け入れないと、世界の中ではやっていけないのです。


そこで、それならそれで、国としてはどれだけ他の国からの干渉やらぐだぐだを押さえ込むかが焦点となるかと思います。


世知辛いことですが、しかし、国家が存在し、その中で暮らす、あるいは生きるということは、いかに自由を希求し、そのために、戦うというなんじゃないかと思うのです。



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